アメリカのネオコンとは何か、ネオコンの理解のために

私には基本的な疑問がある。なぜ世界で一番の民主国家が一番残虐な暴力を行うのか、ベトナム戦争、イラク戦争、コソボ紛争、イスラエルの戦争、そしてシリア内戦その他、どれほど人道支援とかいいつつどれだけの人を殺せば済むのかというくらい残虐行為を行う。イギリス、フランス、ドイツなどの民主国家はそのアメリカに加担するのである。



この民主国家の主張は「我々の」民主主義的文化、文明を守るためにこの暴力を使うのだ、という。テロなど問題にするのもおかしいくらいにこの暴力は正当化されている。どれだけの人を殺してもテロのほうが問題あるということに世界の民主主義陣営は主張する。
これについての解答らしきものを二つ見つけた。
一つは、「マルチチュード上」アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート著(NHK出版)の中の「帝国の暴力はいかに正当化されるのか」p63以下に、国家が暴力を高度に独占している時代、という事でマックスウェーバーの用法でいえば、国家の暴力は合法性がある、という事だ。何のための暴力かといえば、現在のグローバル秩序のヒエラルヒーを維持するための暴力という事になる、一方で対抗しているのは、その秩序を脅かす暴力といった対抗軸である。(p74)

もう一つは「西洋近代を問い直す、人間は進歩してきたのか」佐伯啓思著、PHP文庫この本も9・11とイラク戦争の衝撃を受けて京都大学での講義をもとに書かれたようだ。

第1章、文明のとらえ方ー進歩思想と文明の衝突の項目
ネオコンを動かしている使命感、ここに出てきている。

こう書いてある。「彼らの基本的な考え方は、この世界は無秩序状態とみなし、世界に秩序を与えるには、ある国が圧倒的に力を持つことが必要だという事です。同時にまた、彼らはアメリカの唱える自由や民主主義、市場経済などの諸価値の絶対性を主張して、アメリカこそが世界に向けてそれを普遍化する使命を持っていると考えます。・・・・・この態度を支えている思想的背景は何なのかというと、ここにもある種の西欧の思想的な伝統があります。それを端的に示すのが、レオ・シュトラウスという政治哲学者で、彼が『ネオコン』の背後にいると言われています。」(レオ・シュトラウスの著書は法政大学出版会他で数点訳されている)

少し、シュトラウスの思想もよく学ぶ必要もあるだろう。この民主主義の文化で高度に発達した資本主義国家は、根源的な悪に突き進むのだろうか。それに日本も加担し追随していくのか。また民主主義というのはこういうものを阻止することができないものだろうか。違う概念、思想が必要なのか。

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