思想史の講座のない大学は大学といえるのだろうか
現在、私は神奈川大学の市民講座を受講中です。これは的場昭弘教授の世界史、という講座。彼の専門は著書でもわかる通り、マルクスの思想が専門です。しかしこれはマルクスだけ知っていればできるというものではなく、広く思想史を抑えておかなければ、マルクスの専門家にもなれない。これは4年かけて一つの完結した講座にするという、極めて、異例な、特別な講義という事です。
多分市民講座や大学のオープンカレッジなどというのは、長くて一年限りの講座がほとんどです。今や短くて3か月6回程度の講座が多く見受けられます。早稲田大学のパンフレット見ても大体そういう内容。圧倒的に多いのは語学講座。あとは現在の政治状況の解説などマスコミ的なものがやや高級な講座といってよい。あとは非常に狭い分野の趣味的な講座が多くこれが大学の教授や先生が話さなければならない研究内容かとびっくりするものだらけだ。
ある人に聞くと教授職というのは何か犯罪でも侵さない限り自分の講座やそのテーマまた当然自分の職業を追放されることはないそうで、全く競争原理もその有効性もカウントされない職業のようだ。なかなか判定はむつかしいだろうが、教授選定委員会など作ってコネだけではなくて広く市場から選抜するような仕組みもいるのではないだろうか。またそのためにはその大学の掲げている理念がしっかりしていなければ有名な人に集中する可能性もある。
そういうわけで大学の内部の話を聞くことも多くなっている昨今だが、思想史のない大学がほとんどだと聞いてびっくりしているところへマルクス経済学を講義する学校もほとんどないと言われている。特に早稲田大学はその講座はないそうで、会社の同僚などに聞いてもそういう授業を受けたことはないという。こうなると会社のやっていることや世界で起こっていることを批判的にとらえる目という視点がないのではないか。むろんマルクスだけがそういう視点を提供して言うわけではないが、今マルクスが登場しマックスウェーバーが登場した長いヨーロッパの歴史の中での思想の闘いとその歴史というものに目がいかないと現在自分のやっていることや世界で起こっていることがどういう問題を抱えているのか将来どんな問題を起こすことになるのかという事が見えてこない。
さらに言えば、そのヨーロッパのその思想の潮流というものにも限界がある、と指摘されているところなのにである。
こうなると日本の国家社会主義(ナチズムや北一輝と影響を受けた岸伸介;刺激的読書案内thoughtguide.net参照ください。)の危険性や問題についてはだれも講義はしないのであろう。
だから大学を出たとはいえ、批判的に自分を振りかえる視点を持たないどころか、会社や社会が持っている問題を発見できないままになる。むしろ早稲田的な大学はそういうことを教えないようにして会社に従順で都合のいい人間だけを送り込もうとしているのだろうか。むしろそれは会社にとってもよくはないわけで、会社の成長にも批判的な視点というものが必須なのである。
だから日本の発展のためにも思想史という分野は大学自らが消してはならない。この分野を在野の人だけに任せるわけにはいかない。またこれを重要分野ととらえる大学人がいないことが情けないし、日本の学問の衰退を保証しているのではないか。
多分市民講座や大学のオープンカレッジなどというのは、長くて一年限りの講座がほとんどです。今や短くて3か月6回程度の講座が多く見受けられます。早稲田大学のパンフレット見ても大体そういう内容。圧倒的に多いのは語学講座。あとは現在の政治状況の解説などマスコミ的なものがやや高級な講座といってよい。あとは非常に狭い分野の趣味的な講座が多くこれが大学の教授や先生が話さなければならない研究内容かとびっくりするものだらけだ。
ある人に聞くと教授職というのは何か犯罪でも侵さない限り自分の講座やそのテーマまた当然自分の職業を追放されることはないそうで、全く競争原理もその有効性もカウントされない職業のようだ。なかなか判定はむつかしいだろうが、教授選定委員会など作ってコネだけではなくて広く市場から選抜するような仕組みもいるのではないだろうか。またそのためにはその大学の掲げている理念がしっかりしていなければ有名な人に集中する可能性もある。
そういうわけで大学の内部の話を聞くことも多くなっている昨今だが、思想史のない大学がほとんどだと聞いてびっくりしているところへマルクス経済学を講義する学校もほとんどないと言われている。特に早稲田大学はその講座はないそうで、会社の同僚などに聞いてもそういう授業を受けたことはないという。こうなると会社のやっていることや世界で起こっていることを批判的にとらえる目という視点がないのではないか。むろんマルクスだけがそういう視点を提供して言うわけではないが、今マルクスが登場しマックスウェーバーが登場した長いヨーロッパの歴史の中での思想の闘いとその歴史というものに目がいかないと現在自分のやっていることや世界で起こっていることがどういう問題を抱えているのか将来どんな問題を起こすことになるのかという事が見えてこない。
さらに言えば、そのヨーロッパのその思想の潮流というものにも限界がある、と指摘されているところなのにである。
こうなると日本の国家社会主義(ナチズムや北一輝と影響を受けた岸伸介;刺激的読書案内thoughtguide.net参照ください。)の危険性や問題についてはだれも講義はしないのであろう。
だから大学を出たとはいえ、批判的に自分を振りかえる視点を持たないどころか、会社や社会が持っている問題を発見できないままになる。むしろ早稲田的な大学はそういうことを教えないようにして会社に従順で都合のいい人間だけを送り込もうとしているのだろうか。むしろそれは会社にとってもよくはないわけで、会社の成長にも批判的な視点というものが必須なのである。
だから日本の発展のためにも思想史という分野は大学自らが消してはならない。この分野を在野の人だけに任せるわけにはいかない。またこれを重要分野ととらえる大学人がいないことが情けないし、日本の学問の衰退を保証しているのではないか。
コメント
コメントを投稿