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10月, 2019の投稿を表示しています

ベルは臥し、ネボはかがみ、この言葉がわかるだろうか?

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「ベルは臥し、ネボはかがみ、彼らの像は獣と家畜との上にある。 あなたが持ち歩いたものは荷となり、疲れた獣の重荷となった。 彼らはかがみ、、彼らはともに臥し 重荷となった者を救う事が出来ず、 かえって、自分は囚われていく。」イザヤ書46章1-2 クラウス・ヴェスターマンの第2イザヤの解説を参考とすると、 ベルはバビロンの神・神々の父、ネボは新バビロニア・カルデア王朝の最高位の神この二つの神が台座から外されて、その神像がばらばらにされて、今、運搬用の獣と家畜の上に荷物として担がれて逃げ出していく姿を描いている。敗戦、撤退、危機の迫るときの姿である。 最初の2行が既存の定型文があったことを連想させる韻律があるそうだ。次の3行がイザヤ自身の解説という事になる。 ISの最高指導者アブバクル・バクダディが死んだと報道された。また本日10/29NHK国際ニュースでクルド人の撤退が決まって武器を載せた車が(トヨタ車が多い)また米国製の武装車がロシア軍の指導の下撤退していく姿がテレビの映像で流れた。現地のレポーターは米軍が捨てた車がクルド人の武装車となっていると解説していた。まさにこのことを語った言葉のようであると思わせたのが最初に引用したイザヤ書の言葉である。 彼らの敵も味方もそれぞれの神はどうしたのか、殺戮、虐殺、悲惨という言葉が砂漠のように続く地域、ベルは臥し、ネボはかがみ、となっていくのか。 尚、シリア問題については、刺激的読書案内thoughtguide.netをご参照ください。シリアという本で紹介しています。

落ち着いた日が欲しい

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ラグビーのワールドカップも宴たけなわである。イングランドとニュージーランドとの試合はイングランドが勝つ。勝った時のエディージョーンズの顔が得意げだった。南アとウェールズの戦いでは南アが勝つ。最後はイングランドと南アの戦いとなる。 今日(10/28)はゾゾのチャンピオンシップが終了、最後まで首位を譲らずタイガーウッヅが勝った。2位に松山英樹、こういう盛り上がりのある大会がこの秋には何度もあったので興奮した日々であった。 興奮ついでに人生のやる気が増すといいのだけれど、案外そうでもない。この長い見せる試合がつづいて幸せ感もある程度続いたが、もう疲れた幸せ感ではないだろうか。 そろそろ落ち着いた日々が欲しいと願うのは私だけだろうか。 他人の闘いで勉強できたこともある。しかし、今度は自分の闘いだ。 さあ、自分はどう戦う。ラグビーやゴルフや、サッカーの感動する場面を見ながら自分の闘いをどうすると自問している。自分の闘いの規模の小さなこと、しかし自分にとっては国際大会よりも重要なことである。何か君は、自分はどうする?と問われているような気になる。

イザヤ書40章1節にある「慰めよ、慰めよ、我が民を」

クラウス・ヴェスターマンのATD第二イザヤ書注解p50に書いてある。 「イスラエルは、神がその民に許しを与え、回復を決定されたという事をイスラエルに告げるために、この時民に遣わされる使者の言葉によって慰められるのである。この慰めの言葉は全権をもって語られる。「慰めよ」の呼びかけが「道を開け」という呼びかけに進むからであり、また、嘆きを変える使者の言葉に低きものを高め、権力あるもの達を覆す歴史の主の、歴史に介入される行為が対応しているからである。」 だから我々はこう思う。権力あるものを引きずり落とすことはまだできていないが、地上への主の介入について予言されているという事が書かれている。近い将来か、また遠い将来か必ず高いものが低くされ低いものが持ち上げられる時が歴史の中で来ることを、待ち望みたいと思う。そこに希望がある。 (バハールの涙、という映画を見て、クルド人女性兵士の物語 http://bahar-movie.com/ )

英雄たちの本を整理しました。

今日は一日雨です。家の中でじっとしているうちにある考えが浮かびました。 そうだ本を整理しよう。 昔から本だけはたくさん買ってきました。ある時はブックオフに売ったりしましたが、ほとんど手元に置いてあります。読む本も読まない本も。しかしよく考えてみるともういい歳=70なので何でもかんでも読める年ではないとはたと気が付きました。それでちょっとこむつかしい本もいつか読むと思っておいてあったのですが、今日はある程度整理しました。 捨てたわけではないですが、デパートの紙袋に3袋くらい、100冊くらいにはなるでしょうか。そう分けてみてわかったのは未練がなくなってしまったという事です。 最初から読めないと思っていたのか、関心が薄れたのかわかりませんが整理すると自分の関心がそんな処にはないという事がわかったのです。 しかしどこに自分の関心があるかはっきりしたわけではないですが、少なくとも分けてしまった本については何の関心もなくなりました。特に今まで力も入れ関心あると思っていた近代資本主義の発生問題、大塚久雄やマックス・ウェーバー的なものなどについては興味が大きく後退しました。丸山真男、吉本隆明など、これらの方々は若い時は花形の思想家でした。 しかし今考えてみると、そういう彼らの一般的理論ではわからないことばかりです。歴史的にみると第二次大戦が終わってイスラエルが建国された、パレスチナ人は追い出された、この問題について欧米が大きな責任がありますが、この責任問題というものが一切問われないで現在まで来ているのです。欧米というのは我々に民主主義を教えてきた世界です。しかし欧米の考え方は強いものが強いという思想です。それだけでは正確ではないですが民主主義もあります。強権と民主主義が入り混じっている状態。一方だけではない。 民主主義の原則といわれているものに少数意見を尊重しようというのがあります。単なる多数決ではないのが民主主義の原則なんですが、世界は民主主義でも何でもないのです。それは言いすぎですが、日本の憲法第九条のようになければ大変なことになったであろうというのは想像に難くない。それと同様形骸化しているかもしれないが民主主義というものが建前として採用されている国、そうでない国でも民主主義は基本的に是と意識されているわけです。この意識が全くないとすれば大変なことになっ...

現役の人たちと飲みました。40代から50代

場所は蛇の目寿司、ここの現役のころお世話になったお母さんにあいさつしたいと思って、皆さんにはこの場所を選んでいただきました。 まずびっくりしたのがお母さんが病気だったことです。 次に現役の人たちと話すと結構悩みが多くその悩みが渦まいているという事がわかりました。ある人はうつ病だし、ある人は苦しんでいるという事を聞きました。 元気そうにしているがその中身は案外苦しい人生だという事でしょう。そんな人ごとのように言うのも変ですが、自分のサラリーマン人生を振り返ると苦しきことのみでした。それでもその苦しみを乗り越えるのは何だったのか。ある意味心の整理が必要でした。これをしっかりとすれば何とか生き延びることも可能です。 世間ではラグビーやゴルフで若い人が活躍していますが、サラリーマンは大手ほど若手はなかなか出世もできませんし、出世したとたんの責任の重さ、その会社の流儀に泣かされることが多いと思います。何とか僕も皆さんのそういう気持ちに寄り添い支援していけたらと思う日でした。

旧約聖書 詩篇123

この詩は非常に短い。 しかし、ほかの詩篇とは違うリアリティーがある。 「僕がその主人の手に目を注ぎ、はしためがその主婦の手に目を注ぐように」我らの神に目を注ぐとある。 どういう主人かどういう主婦か、わからないが仕えてるものからすればその一挙手一投足が不安を作り、苦しみを作り、悲痛を作り出すのである。だからこそすべての感覚を動員してじっと手を見ているのである。物凄い集中力である。この僕と婢女の立場に身をおいてこの作者は書いている。その沈んだ気持ち、そして低い場所が信仰のためにはどうしても必要だ。そういう所、状況にいないと信仰は生まれない。神は貧しいものの神なのである。この世界の価値観とは全く違う価値観を神が持っている。出来るものの神ではなく婢女の神なのだ。主人の神ではなく僕の神だ。実にその通りと思う。

zozo championship 習志野カントリークラブで開催、朝日の記事

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いよいよ今週始まる四日間にはワールドカップのラグビー以上とは言わないが関係者には来年のオリンピック以上であることは間違いがないだろう。世界のトッププレイヤーがなんと日本に集まるという。ロリー、マキロイはラグビーワールドカップのニュージーランド対アイルランドに見物に来ていた。CJカップに出ないで早くも日本へ来ていたのだ。

フロスト警部

R・D・ウィングフィールド作「夜のフロスト」芹沢恵訳、創元社推理文庫、2001年発売06年まで9版。 このシリーズはそんなに沢山ないがどれだけ面白いか。 天才でもない平凡な刑事だ。間違ったり、報告書のたぐい書類は書かないし本当にでたらめなダメ刑事だ。いつも所長からは金を使うな報告書を提出しろとうるさく言われている。しかもいろんな事件が多方面で起こる。このいろんな事件をやはり、試行錯誤の末にやっと解決する。このやっと解決するところに面白さがあるのだろう。